■登場人物
あるじ-機材たちの元持ち主。
私-わたし
Y氏-あるじの友人。私の友人。
2023年2月某日
Y氏よりメール入電。衝撃の添付写真に興味を示す。
2023年3月某日
Y氏とあるじの基地へ行く。引くぐらいビックリする。が、破棄寸前で待ったをかける。
基地の管理人と話をして、Y氏と整理をする流れになる。何の因果かMZシリーズの面倒を見ることになった。
第1回搬出。恐ろしい物量、途方もない作業。とりあえず通路を確保。くそー負けねー。
2023年3月
お腹を空かせたMZたちを放っておいて液漏れとか腐食とかしたら寝覚めが悪い。Y氏と相談。
引き取り手を探すことにする。少しずつでも引き渡していく。
同時にあるじの足跡を方々で探す。ここにあるモノたちの意味を知りたい。どのように集められ、どのように使われたのか。
2023年4月
書籍類の行き先が決まった。夢の図書館、マイコン博物館様と連絡を取り、書籍と機材を引き受けてもらえることになる。
ひたすら梱包。ダンボール箱を何箱組んだか覚えていない。
同時にモノをどんどん仕分けしていく。これは何?という疑問から入るので時間がかかる。
秋月袋に分けられたパーツたちがゴロゴロでてくる。いつか組み上げようと基板と一緒に整理棚の中に積まれている。残留思念のような何かと共に回収。
2023年5月
基地整理が月例化する。あるじのご家族とも仲良くしてもらい訪問が楽しみ。
作業はモノの搬出と機材の仕分けと梱包作業をひたすら繰り返す。
1つ荷をほどくと、あらゆるものが噴き出してくるので、覚悟と気合が必要。珍品逸品も見つかることがあり毎回驚かされる。
箱類は一通り開けてカテゴリごとに集めて、効率的に分別して行かないと時間が溶ける。
40年からのものが詰まっているので、見てもよく分からない物も多数ある。
2023年6月
床が見えてきた。座って休むことができるぞ。
もう一つの拠点を見せてもらう。作業が2倍になった。泣くな私。
周辺機器もたくさんある。ケーブル類をまとめて分別。セントロ、SASI/SCSI、外部FD、MZ用、98用、デジタルCRT、アナログCRT、必要なものを捨ててしまうと機器が繋げない。にしても量が多すぎる。
2023年7月
PC本体はおおかた集められた。初期に思った以上にある。
同じ機種が複数台あるけど、あるじの趣向が反映されているのかかなり偏りがある。拡張カードがたくさんあるのでそれらを付けられる分だけ集めたのかもしれない。
一番多いのは80B。10台以上。
メンテもだいぶ慣れたので、持ち帰りマシンを増やしてとにかく修理しまくることにする。と同時に、自宅の倉庫を整理してメンテ場所を確保する。こちらも大変。
2023年8月
別の作業場にあるものを基地に集めて仕分け、整理、梱包。
夏場はキツイが、声掛けながらみんなで作業すれば幾分元気も出る。
確実に基地は整理されている。寝転がることができる。扱うべき機材の量も見えてきた。
油断は禁物。見えるモノは怖くない。見えないところに在るモノが怖い。
マシンとボードと電子部品を並べてみると「こうしたかった」のではないか、という推測が立つ。なんだか謎解きしている気分。
2023年9月
頭の中にぼんやり納まる姿が見えた気がする。
すべてのMZシリーズを最低1台ずつ、マイコン博物館へ寄贈する。バックアップとして主要な機器と保守部品のいくつかを私が保管する。
余剰は必要な方々に還元して、各々所有するマシンを保全してもらえれば、当面、動態保存の可能性が上がるはず。
あと、基地にあるじの居場所を確保する。これ大事。
2023年10月
マイコン博物館への移送を再開する。
メンテナンスもどんどんこなす。
自宅倉庫のキャパがやばいので優先的に整理する。物を置く場所と作業する場所が必要なのでなかなか難しい。積み作業がどんどん増える。
平行して作業をしているので、どこに何をやったのか忘れる。いかんなあ。歳だなあ。
あと、老眼が酷い。
2023年11月
今年の作業は一先ず終了。
今後は細かい作業が入ってくる。未着手作業として、ソフトウェアの分別、ケーブル類の分別、周辺機器ボードの分別、ディスプレイの処分、MZ以外の機種の処分。
冬は道路の凍結などもあって移動が困難、しばらく基地での作業はお休み。
整理はされてきたけど、まだまだマシンは残されている。冬の間、どうするか考えよう。
2023年12月
メンテは落ち着いてきた半面、FDDの分解調整など新しいスキルを求められるようになる。
マイコン少年だった頃このスキルと知識があったならもっと深みにハマりまくってただろうなと振り返る。いや、じゃなくても普通にハマってたけどね。
派生製作物も増えそうなので、できるだけ公開していくように考えねば。
あるじのやりたかったことは本当にこれで合ってるのか、一年前に戻れるなら是非聞いてみたい。
2024年2月
冬期の休業期間は終了。作業を再開する。
久しぶりに基地を訪れても変わらない様子に少し安心する。あるじの研究棚も健在。
リハビリを兼ねて作業はゆっくり目に開始。
今回は残された機材の中から周辺機器を中心に梱包作業を行う。中心はブラウン管モニタ。
昔はこんなクソ重いモニタをデスクの上で使ってたなぁと今更ながら驚きもある。
あと、カタログや取説などのペーパー類もまとめる。今回は9箱送る段取りができた。
後回しになっているものもあるので、次回は引き続き周辺機器と合わせて作業していく。
2024年2月
MZシリーズのメンテを行ってきたが、最後の機種MZ-80Cのメンテが完了した。(80A除く)
これで、MZシリーズのメンテはひと段落。
あるじのしたかったことの一つは成せたかな?
まだまだマシンはあるので、作業は続く。
2024年3月
1年が過ぎた。1つ歳を重ねたことになるが、1年の時間をかけてMZ達と戯れて来たとか、なんと濃い1年であったかと思う。
マイコン少年だった頃からどちらかと言うとソフトウェア側の人だったので、コードを書くことは苦にならなかった。ハードウェアは金がかかるので、少年には高い遊びだったのだ。
それがこの1年でどっぷり浸かり、メカ類の調整までやってみようと言うんだから我ながら馬鹿だと思う。
さて、今回の作業は、寄贈品の梱包残件と細かな仕分けと整理。
マイコンボード関連を整理して回収してきた。後々、放出することになると思う。
残された機体は処分となる。まだ80Bとか2000とかあるので、ギリギリまで新たなあるじを探してあげたいとは思う。
2024年4月
自宅倉庫もキャパオーバーになりつつあるので、また収納を拡張するべく日曜大工DIYも捗る&個別にメッセージ頂いている方に必要な機材を発送するべく準備をしながら、あれやこれやと混乱中。
Y氏と基地整理の打ち合わせの中で、次回で一区切りすることになった。
博物館への寄贈は全機種コンプで目標は達成しているし、基地の居住性は回復した。保守部品の確保もできた。当初の目的はすでに達したかと。
もちろん、機材はまだ残されているので、引き受けられるだけ引き受けてこようと思う。
必要な方が見つかればお渡しします。随時募集中。
あるじの研究棚はそのまま残しておく予定。
面影と居場所はご家族のものであるからね。
2024年5月
一年前は機材の行先を探したり、作業の定例化をしたり、80Kを直したりしてた。
それもひとまず、今回の作業でひと段落となった。
今回は残機材の整理と個人的な配布機材を確保すること。メンテナンス用機材を確保すること。あるじの居場所を完成させること。
おおむね目的は達し、足の踏み場も無かった基地は整理され、見違えるほどキレイになった。
機材を積み込み、確認をして、基地はしばしの眠りについた。
最後にご家族とY氏共々、慰労会を開いて頂いた。
あるじの様々なお話、学生時代のエピソードなどを伺いながら、楽しい時間を過ごさせて頂いた。
私のような部外者受け入れてくださったご家族には本当に感謝しかない。お心遣いもありがたかった。
ただ一緒に作業をしながら、気持ちの整理を強要しているようで申し訳なかった。
今回で最後ではなく、また先に心の整理が付いたら研究棚を引き受ける旨お伝えして別れた。
私はあるじと面識がない。Y氏のご友人であり、電子工作のアドバイザーであった御仁であるという情報しかない。
この世を去ってから知り合ったから、あるじの人物像はイメージの中にしかない。
生きた痕跡を辿り、ご家族と話し、古くからのご友人を訪ね、私の中のあるじを作り上げた。あるじの物たちに向き合いながら、対話しながら一年作業をしてきたように思う。
でも「これでいいですか?」と問うても、あるじからの返事はない。
それが何とも歯がゆい。
さて、次に訪問する機会はいつになるか。
近いかもしれないし、遠いかもしれない。
ナビの目的地は消さずに残しておこう。
お疲れさまでした。

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